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高橋由一 「鮭図」
 ところがこの鮭の図を、ただ「鮭だ」ということで喜んでいるわけには、実はいかないんですね。これはさきほどもいいましたように、鮭は魚ですから、西洋の寓意図を見慣れた人は、「これはキリストだ」 というふうに見ます。しかも半分身を切られてますから、受難の相です。その上、ぶら下げられている。これは見まごうべくもなく、十字架にかけられたキリストでして、モロにキリストの処刑の図です。肉をゴリゴリ切られて、哀れな姿をさらしているキリスト。当時日本にやって来た西洋人がもしこの図を見たら、みんなひれ伏して涙を流したに違いない、というような寓意図なんです。 ところが残念なことに、日本人はそうは思いませんでした。「わあ、すごくリアルな鮭ね」なんて喜んで、食べられないものなんだけど本物のダミーとして、こういうものを商店の壁にかけた。高橋由一自身も、リアルに描くということは、自分の魂がそこに乗り移ることであり、自分の精神が洗われるということである、ものをくもりない目で眺めて、鮭が鮭として描かれることは非常に重要なことなんだ、これこそ美術なんだ――という、大きなカン違いをしたわけです。
荒俣宏 「荒俣宏の図像学入門」 (マドラ出版)

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高橋由一 「鮭図」

 ところがこの鮭の図を、ただ「鮭だ」ということで喜んでいるわけには、実はいかないんですね。これはさきほどもいいましたように、鮭は魚ですから、西洋の寓意図を見慣れた人は、「これはキリストだ」 というふうに見ます。しかも半分身を切られてますから、受難の相です。その上、ぶら下げられている。これは見まごうべくもなく、十字架にかけられたキリストでして、モロにキリストの処刑の図です。肉をゴリゴリ切られて、哀れな姿をさらしているキリスト。当時日本にやって来た西洋人がもしこの図を見たら、みんなひれ伏して涙を流したに違いない、というような寓意図なんです。

 ところが残念なことに、日本人はそうは思いませんでした。「わあ、すごくリアルな鮭ね」なんて喜んで、食べられないものなんだけど本物のダミーとして、こういうものを商店の壁にかけた。高橋由一自身も、リアルに描くということは、自分の魂がそこに乗り移ることであり、自分の精神が洗われるということである、ものをくもりない目で眺めて、鮭が鮭として描かれることは非常に重要なことなんだ、これこそ美術なんだ――という、大きなカン違いをしたわけです。

荒俣宏 「荒俣宏の図像学入門」 (マドラ出版)

(asada-santoheiから)